【すべては考え方】新年がおめでたいとは別に思わなかった。

日常生活

元旦。

この日は日本各地、いや世界中で新年を祝う挨拶が取り交わされる。

日付が変わっただけで何がそんなにおめでたいのか?

全く理解できずにいた。

でも考え方が少し変わり、今年もよい一年にしようという気持ちになっている。

昨年の抱負を振り返る。

2025年の抱負というか目標は他人と比べないことだった。

他人は他人、自分は自分。

これを目標とした理由は自分軸を持ちたかったからだ。

他人の言動や価値観に影響されるのを嫌った。

経験すれば、学べば、成長すれば、、、じゃあこの仕事お願いね。

といった具合に他人の勝手な解釈に翻弄されて自分が望む姿とどんどん乖離していくような感覚があった。

だからもうやめた。

経験し学び成長したい気持ちはあるがそれは組織や他人のためではなく、全て自分が望む姿に近づくためなのだ。

今年の目標は?

他人に期待しないこと。

頼らないとはちょっと違う。

ニュアンス的には「そうだったら自分が楽できるからそうなるといいな」に期待しないが近い。

要は自分から依頼もせず、相手への見返りも提案せず、ただ自分の思う通りに相手が行動してくれることを期待しない。

人は期待したものが得られなかった場合にストレスを感じる。

それが他人に期待したものだった場合、なぜこの人は自分の思った通りに行動してくれないのか?という他責思考に陥る。

例えば、お互いに真っ直ぐ歩いていれば問題なくすれ違えるのに、わざわざこちらに向かって斜めに歩いてくる星人の存在。

街を歩けば必ずといっていいほど遭遇する。

相手が避けるだろうとか、お互い察するべきとか、他人に期待したところで他惑星の生命体にはそんな発想自体ないので期待しても無駄なのだ。

一方自分に期待したものであった場合、反省点はなにか?他にできることはなかったか?など成長につながる考えをもつようになる。

信頼はする。

かといって何でも全部自分でやらなければならない、自分が犠牲になれば丸く収まるだろうという考えは危険だ。

自己犠牲の考え方はどんどん自分を追い込んでしまう懸念がある。

心の強い人はそれでも伸びるのだろうが私はメンタルについては特にポンコツだ。

だから信頼はするし、助けも乞う。

自分が望むことはちゃんとお願いをするし、その場合に相手への見返りを提供する。

心の品格がある人は相手の立場になって考えることができる人なんだ。

むすび

年末になると街は慌ただしく、何かソワソワとワクワクが入り時混じった雰囲気となる。

でも年が変わった瞬間、今まで積み上げたものがリセットされて再び一から始まり。

また苦労や困難が待ち受けているのか、、、という気持ちになるのが好きになれなかった。

だからめでたいともなんとも思わなかった。

でも違う。

昨年までの自分を礎としさらに経験を積み上げる。

今年は何ができるようになるんだろう。

どんな成長が待っているんだろう。

そんな期待をしていると新年ってとてもおめでたいことに思えてきた。

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