【日々の生活で考えること】挨拶は自己価値を高める行為である。

日常生活

「あいさつをしなさい」

家庭や学校でそう教わった人は多いと思う。

だけど何でしなくてはならないのか?

その行為が自分にとってどのような意味があるのか?

納得のいく説明をしてくれる大人は私の周りにはいなかった。

みんなやっているからやりなさい。とか、

大人になってから困るからクセをつけておきなさい。とかそういう理由だった。

人の価値観はそれぞれなので、いくら崇高な言葉を並べたところでその人の価値観にミートしなければ響くことはない。

今回は私が考える挨拶の価値について。

失うものなんてある?

会社でも学校でも挨拶をする人及びできる人はいつも同じだろう。

この人には挨拶するけどこの人にはしないとカテゴリー分けを無意識にしているはずだ。

相手が挨拶してきたら返せばいいや。

という人も多いだろう。

別に悪いことだとは思わない。

自分もそうしてきたし、現在もそうだ。

挨拶はタダ。

なのにできる人とできない人、する人としない人がいるのはなぜだろうか。

正確な理由は人によって異なるが

・挨拶して無視されたらイヤだ。

・反応が自分の望むものでなかったら傷つくかも。

・挨拶しても得るものが保証されていない。

大体そんなところだと思う。

一方で生まれながらの気質として人と接することが苦手という人はいる。

私もどちらかというと苦手なタイプ。

人生における価値観なんて人それぞれだ。

優先するものが何であるかを否定するつもりなどない。

でも挨拶できる人って活発で楽しそうにしている人であることが多い。

私は人生を楽しく過ごすことを信条としている。

じゃあ、しないと損じゃない?

類は友を呼ぶ

一部の方には「能力者同士は惹かれあう」といった方が分かりやすいか、、、

要は毎日楽しく生きている人はその友人や親しい人も同じように楽しそうに生きているということ。

太陽のように明るく輝く人物の周りが全員陰湿で他人の影口ばかり言う人、なんてことはまずあり得ない。

ちゃんと統計を取ったわけではないので感覚論で恐縮だがそこまで大外しはしていないはずだ。

自分が毎日を楽しく生きたいと思っていて、もし現実がそうでないのであればまず考え方を変えること。

待っていても誰も授けてはくれない。

この人の助けになりたい、支えたい。

周囲からそう思われる人は同じように誰かを助けて支えてきた人だ。

人生は考え方が変わって、行動が変わって、結果が変わる。

私が日々愛読しているブログからの受け売りになるがとても心に響いた言葉だ。

公私ともに何かにつまづきそうになったとき、都度自身に言い聞かせている。

我が子は先日2歳になった。

これから多くのことを経験し疑問に思うことも増えるだろう。

そんなとき頭ごなしに大人の都合を押し付けるのではなく、キチンと理由を伝えられる親になりたいんだ。

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