テレビやSNSなどで見るに堪えない交通トラブルの映像が流れることがある。
本当に自分と同じ種の生物がやっていることなのかと疑ってしまう。
先日読んだ書籍。
私が学び、これから実行することを記事にした。

私は通勤にクルマを使っている。
以前同僚からこう言われたことがある。
「運転好きなんだから通勤疲れないでしょ?」
そんなわけない。
走りを楽しむのとは全く違う。通勤は疲れるのだ。
コロナ禍でせっかくテレワークが浸透し始めたのにまた元に戻りつつある。
仕事の好き嫌いはさておき、なぜみんな会社に行きたがるのか。
コレガワカラナイ。
汚い運転
そんな苦痛な通勤に輪をかけるのが汚い運転をするドライバーの存在だ。
「子供が乗っていますステッカー」を貼ったミニバンのケツをあおり倒し、ウインカーを出さずに右へ左へスラローム。
まだ黄色という勝手な解釈で赤信号を強行突破して次の信号で引っかかる。

今日も漆黒のプ〇ウスが明後日に向かってカッ飛んでいく。
まったく目も当てられない。
で思ったのが通勤ってエンデュランス(耐久レース)だなと。
コントロールすること
耐久レースでは目の前の1台をパスすることより、いかにペースを落とさず走り切るかが勝利のカギとなる。
タイヤと燃料の消費を抑えてなるべくマシンに負担をかけない。
ドライバーもメンタルをコントロール下においてストレスを溜めないようにしている。

通勤も同じだ。
いかにストレスなく会社着けるか、家に帰るか。
汚い運転をする連中は目の前の1台を抜き去るのに必死。
1分1秒でも早く職場について薄いコーヒーを飲みながらアイコス吸いたい。
たかが底は知れている。
と、ここまではわざわざ書籍を読まなくても想像に容易い。
ではなぜそういった運転を見ると気持ちが乱れるのか?
怒りのメカニズム
それは自分のもっている正義感だ。
ここでいう正義感というのはなにも崇高なものではなく「~であるべき」というシンプルなもの。
極端に言えば自身の価値観からくる勝手な思い込みなのだ。

この正義感というのは人の数だけ存在する。
私のケースで言えば、
「皆は周りの調和を乱さない運転をしていて自分もそうしている。なのになぜあのドライバーはそうしないのか?」
公道を自分のもののように振る舞う姿が許せないのだ。
自分はこういう場面で怒りを感じるということさえわかってしまえばもう簡単だ。
自分を変えられるのは自分だけ。

毎日同じ時間に遭遇するのであれば5分早く家を出ればよいし、出くわしたとて相手にしない。
それだけのことだ。
キレイな運転
じゃあ自分は大丈夫?
紳士的な運転、クリーンドライブをするのに特別なテクニックなんて必要ない。
ゆずる
ただこれだけ。
一時的に敗北感をもったり、悔しい気持ちになったりするかもしれない。
しかし負けるとゆずるは違う。

欧州における運転マナーは日本に比べレベルが高い。
それは公共マナーのレベル差といってもいい。
レディーファーストという言葉があるがそれが出来ている人は相手が女性じゃなくても他人に対してはゆずれる人が多い。
習慣になっている人は自然とふるまうことができる。
他人を思いやることは結果として得をすることが多い。
それを経験で分かっているのだ。
汚い運転はクルマ、ドライバーともに負担がかかる上、本人が思っているほど速くない。
キレイな運転は結果としてプラスに繋がることが多い。
まとめ
私は紳士的な運転を心がけているが完璧かと言われるとあやしいものだ。
運転中にイラつくことだってある。
これからクルマに家族を乗せて出かける機会も増えるだろう。

もう一度襟を正して自身の運転を見つめなおす機会に繋がって有益だった。
クルマが好きで運転が好きでありつづけたい。
私も普段から相手を思いやり、それが自然とできるよう取り組むこととする。
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