光陰矢の如し
月日が経つのは矢のように早いという意味の言葉だ。
その由来は古代中国、唐の李益の詩「游子吟」にあると言われている。
唐時代は西暦618年から907年まで。
今から1000年以上も前の時代だ。
のんびり生きてそうな昔の人も同じことを感じていたとはなかなか感慨深い。
さて今回は2025年のここまでを振り返って印象に残った出来事について。
勝手にメンター
トピックはいろいろあるが真っ先に思いついたのは目標とする人物を見つけられたことだ。
nobさん
毎日ブログを配信している方でクルマや育児、グルメに関する記事が中心だ。
ブログの内容から判断するにnobさんと私の生活水準は月とスッポンくらい差がある。
だけど考え方や物事の捉え方など共感できる点が多く、読んでいてとても楽しい。
そんなブログの中で特に印象に残った言葉がある。
人はなりたいと思った姿になれる力がある
人生とは考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる
この2つはまさに目から鱗であり、自身の人生にケチをつけていた私の目を覚ましてくれた。

といってもSNSを通じて知っただけで直接会ったことはない。
どんな容姿なのか、どんな声なのかもわからない。
極端なことを言えば実際に存在しているかも不明だ。
仮に私がブログをやっていなければ、ブログを毎日配信するということがどれほど大変か理解できなかっただろう。
そして書いている記事にも関心を示さなかったと思うし、先に紹介した言葉と出会うこともなかったかもしれない。
ブログをやっていてよかった。
本当にそう感じた出来事だった。
子どもの成長
4月から子どもが保育園に入所した。
初めてのことなので本人よりも親の方が不安と心配でいっぱいだった。
他の子どもたちと仲良くなれるだろうか、給食は残さず食べられるだろうか、お昼寝はちゃんとできるだろうか。
そんな親の不安をよそに子供は保育園での時間を満喫しているようだ。

保育士さんによると
入所の頃に比べて表情や表現がすごく豊かになっている。
自分の意思表示もできるようになり、成長を感じるとのこと。
まずは一安心だ。
運動量も盛んで近所の公園の階段を一人で登れるようになった。

しかしまだ一人で降りれないので親ももれなく登ることになる。
5往復もした次の日はふくらはぎがパンパンだ。
そんな身体機能の成長に対し言葉を発することはまだない。
機嫌のよいときでも「アー」とか「う~」とか発音するくらいだ。
言葉に関しては少し遅いのかもという保育士さんの意見も頂いた。
幼少期は個人差がすごくあるそうなので、焦らずに温かく見守ることとする。
サガオケ!2025東京公演
生きた音に触れる感覚というのだろうか。
とにかく圧倒された。
何か巨大な生き物とコミュニケーションを取っているかのようなそんな感覚だった。
人生において全く未知の体験で心の底から感動したのを忘れない。

サガオケを通じてオーケストラを初めて聞いた。
いつか、機会があれば、誰かが誘ってくれれば、、、
他力本願でこれまで生きてきたからその時は訪れなかった。
いつかはやってこない、機会は訪れない、誰も声はかけてくれない。
待っていても何も始まらない、それが現実だ。

やってみたいと心に思ったなら自分で実行するしかない。
失敗したとかやらなければよかったとか思うこともあるかもしれない。
だけどそれはやって初めてわかることだ。
行き当たりバッタリの丁半博打であれば得られるものは僅かかもしれないが
自分で計画をし、成功のイメージを描いてとった行動であれば経験として次に生かすこともできるだろう。
これからも気になったことはどんどん取り組んでいく。
人生は一度きりであり、時間は光陰矢の如しなのだ。
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