ある日、後輩から相談を受けた。
「部長や課長って、いつも忙しそうじゃないですか」
朝は早いし、帰りは遅い。
スケジュールを見ても空きなんてほとんどない。
でも、どこか仕事を楽しんでいるようにも見える。
話を聞くと、彼自身も今の仕事は嫌いではないらしい。
大変なことも多い。
それでも何かをやり遂げたときには達成感もある。
ただ、一つだけ引っかかることがあるという。
「人生を捧げられるかと言われると、ちょっと違う気がするんです」
「自分も仕事を生きがいにしないといけないのでしょうか?」
なるほど。
いい質問だね。
やりがいと生きがいは全くの別物
まず最初に。
やりがいと生きがいは似ているようで全く別物だ。
よく、
「やりがいのある仕事がしたい」とか「やりがいのある仕事を探している」
なんて話を聞く。
でもね。
やりがいって、やった後でしか分からないんだ。
最初は嫌々やっていたこと。
別に好きでも何でもなかったこと。
それが続けているうちに少しずつ上手くなってきて、気づいたら楽しくなっていた。
そんな経験はないかい?
だから、やってもいない段階でやりがいがあるかどうかなんて分からない。
やりがいは探すものじゃなくて、後から見つかるものだと思う。

一方で、生きがいは違う。
自分の人生をかけてまで向き合いたいもの。
時間も労力も惜しくないと思えるもの。
イメージとしては、やりがいの先にあるものかもしれない。
ただ、混同してしまうと厄介。
生きがいってその人の価値観にものすごく依存するからだ。
そして価値観というのは生きていれば変わる。
子どもの頃から死ぬまで全く変わらないなんてことは、むしろ珍しいと思う。
やりがいの先に生きがいがあるとは限らない
何が言いたいかというと、
やりがいの先に生きがいがあるとは限らないということ。
仕事にやりがいを感じる。
それはとても素晴らしいことだ。
でも、それを生きがいにする必要は全くない。

自分も今の仕事にはやりがいを感じている。
もちろん不満もある。
ストレスもある。
それでもトータルで見れば、この会社を選んでよかったなと感じる。
だから続けている。
でも、
人生の残り時間を全て捧げたいか?
と聞かれたら答えはNoだ。
自分にとって今の仕事は生活費を得るための手段。
生きる目的ではない。
企業組織では仕事そのものに生きがいを感じている人が上層にいることが多い。
本音か建前かはさておき。
利益を出し続ける原動力になるんだから、それは妥当な結果だと思う。
でもだからと言って、自分の価値観を他人や会社の価値観に書き換える必要なんて全くない。
君の人生は君のもの
自分も昔はそうだった。
仕事が生きがいであるべき。
仕事に生きる意味を見出さなければならない。
そんなふうに思っていた。
でも家庭を持ち、子どもと向き合うようになって変わった。

自分は何のために働いているのか。
自分の人生をかけてやりたいことは何か。
そのことを改めて考えるようになった。
そして気づいたとき、
「ああ、そういうことか」
と腑に落ちた。
肩の力がふっと抜けた感覚だった。

君の人生は君だけのもの。
君の価値観も君だけのものだ。
仕事はしっかりやる。
責任を果たして、きっちり対価をもらう。
その上で、「これが自分の人生を捧げたいものだ」と思えるなら、それでいい。
でも無理に自分の価値観を書き換えてまで、仕事を生きがいにする必要なんてないんだよ。

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