父親としての役割と責任│自責思考と自己犠牲を混同しない大切さ。

<日常と趣味の、ゆるい記録>

静かに増えていく役割

父親になると、役割は少しずつ増えていく。

・家庭を支えること。

・子どもを守ること。

・家族が安心して暮らせる環境を整えること。

誰かに明確に言われるわけではない。

だが、いつの間にか「自分がやらなければ」という感覚が心の中に住み着く。

30代、40代になると職場での立ち位置も相まって、その感覚はより強くなる。

家庭のために頑張ること。

それは自然なことであり、誇らしいことでもある。

ただ、その考え方や行動が自責思考なのか、自己犠牲なのか。

両者の境界は意外と見えにくい。

「父親だから」と我慢していないだろうか

独身時代に比べ、父親になると自分の時間は確実に減る。

休日は家族の予定。

子どもの生活リズム。

家庭の用事。

気づけば、自分の趣味や息抜きは後回しになっている。

何事も優先順位をつけることは大事だ。

だが、「父親だから仕方ない」と自分に言い聞かせ続けていると、知らないうちに心の余裕は削られていく。

自分の時間を持つことにどこか罪悪感を感じてしまう人も少なくない。

それは優しさでもあるが同時に自己犠牲の入り口でもあるんだ。

クルマのイベントでふと考えたこと

以前、横浜で開催された旧車のイベントに足を運んだことがある。

古いクルマがずらりと並ぶ、いわば「青空の展覧会」のような場所だ。

普段はなかなか見られないクルマが並び、会場を歩くだけでも楽しい。

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そんな中であることに気づいた。

子どもと一緒にクルマを見ているお父さんや、愛車でイベントに参加しているオーナーの姿だ。

その光景を見ながら、ふと思った。

父親の趣味は、必ずしも“我慢するもの”ではないのかもしれない。

趣味を一人で楽しむ時間も大切だが、子どもと一緒に楽しむという形もちゃんとある。

クルマに限った話ではない。

ゲームでもいい。

キャンプでもいい。

好きな飲食店を探しに出かけるのだって立派な楽しみ方だ。

自分の好きなものを、子どもと共有する。

それもまた父親としての時間なのだと思った。

そう考えると、「父親だから我慢する」という発想は少し違うのかもしれない。

父親の自責思考は悪いものではない

父親として「もっとできることがあるのでは」と考える。

それ自体は、とても誠実な姿勢だと思う。

・もっと子どもと向き合えないか

・家族の負担を減らせないか

・自分にできることはないか

こうした思考は家庭を支える力になる。

だが、その思考が「自分が我慢すればいい」に変わった瞬間、性質が変わる。

それは自責思考ではなく、自己犠牲になるんだ。

家庭を守るために、自分も守る

つい自分を後回しにしてしまう。

だが、自分が疲れ切ってしまえば家庭の空気もどこか重くなる。

本当に守りたいのは家族の安心した時間や穏やかな日常だったはずだ。

そのためには、父親である自分自身も健やかである必要がある。

おわりに

父親としての責任感は、ときに強く働く。

だがその思考が、自分を支えるものなのか。

それとも自分を削るものなのか。

その違いに気づくだけでも、日々の生きやすさは少し変わる。

家庭を大切にすることと、自分を犠牲にすることは違う。

父親として長く走り続けるために、ときには自分を整える時間も必要なのだと思う。

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