気づけば、他人の価値観で生きていた。
それが当たり前だと思っていたし、疑うこともなかった。
でも今は少しだけ、自分の軸が見えてきた気がする。
他人軸で生きていた頃の話
周りからどう見られているかが気になる。
評価が気になる。
どう思われているかが気になる。
「こうありたい」ではなく、「こう見られたい」が先にくる。

カッコよく見られたい。
誠実だと思われたい。
きっと、多かれ少なかれ誰にでもある感覚だと思う。
それが全くない人なんて、極端な話、全裸で街を歩ける人くらいだろう。
ただ、この感覚が強くなりすぎると厄介だ。
いつの間にか、誰が決めたのかも分からない価値観を当たり前のように信じてしまう。
そして気づけば、自分をすり減らす方向に進むことがあるからだ。
他人軸は簡単に入り込んでくる
少し経験を積むと、こう言われる。
「さすがだね」
「やる気あるよね」
「この仕事もやってみたいでしょ?」
一見、前向きな言葉に聞こえる。
でもその裏には、他人の勝手な“期待”や“都合”が含まれていることも多い。
あなたのためだから。
経験になるから。
そう言われると、断りにくい。
気づけばまた、他人の期待に応えることが目的になっていく。

こういう他人軸は、思っている以上に簡単に入り込んでくる。
そして静かに、自分の判断を鈍らせていくんだ。
育児を通じて見えた自分軸
次男が生まれてすぐ、育児休暇を取った。
期間は4ヶ月。
毎日、子どもたちと向き合った。
正直、大変だった。
思い通りにならないことばかりだった。
それでも、充実していた。

育休が終わり、久しぶりに出社した日。
会社の環境は、良くも悪くも変わっていなかった。
でも、見え方が変わっていた。
在籍歴や残業時間、武勇伝を語る人たちがどこか小さく見えた。
もともと輝いていたわけではないが、色がさらに薄くなった感覚だった。

そのとき、ふと気づいた。
「自分は何を大切にしたいのか」
その基準が、少しだけはっきりした気がした。
自分軸はシンプルでいい
自分の中で一つ、軸を置くならこうだ。
それは、「子どもの笑顔につながるかどうか」

とてもシンプルな基準だと思う。
でも、この軸があるだけで判断に迷うことが減った。
もちろん、他人の価値観をすべて否定する必要はない。
社会の中で生きていく以上、周りとのバランスも大切だ。
ただ、最後に決めるのは自分でありたい。

何を選ぶのか。
どこに時間を使うのか。
その判断を、他人に委ねすぎないこと。
自分軸がある人は強い。
それは、年収や肩書よりもずっと揺らぎにくいものなのだ。





コメント